ボディパーカッション教育振興会"

お問合わせ


体は楽器 手叩け足鳴らせ
「ボディパーカッション」、子供らと共演

初めて東京で公演

はじまり

昨年の暮れ、渋谷の街に、ラジカセを置いてブレークダンスの練習をしている三人の若者がいた。私と二十人ほどの子供たちは、彼らの軽やかな動きがやむと思わず拍手を送った。
「お礼に演奏しようか」と私は言った。子供たちは「やりたーい」と答え、「ダンシング・フォールズ(踊る滝)」という曲を披露した。今度は若者たぢが「すごーい」と手を叩(たた)いてくれた。
ジャンルも年齢も超えて、こんな交歓ができたのも私と子供たちが夢中になっている「ボディパーカッション」のおかげだ。
その日は、東京公演のために上京し、会場の東京児童会館の下見に出かけていた。本拠地の福岡県久留米市以外で本格的な公演をするのは初めてだっだが、確かな手ごたえを感じて帰郷し、余韻に包まれて正月を過ごした。
ボディパーカッションは、体が楽器だ。言葉はいらない。音符を読めなくてもいい。特別な技術も必要ない。手や体を叩く。足を鳴らす。そうして出た音が音楽を紡ぐ、タン、タン、タタン。タタタン、タタタン。子供たちが列を作り、グループごとに違ったリズムを追いかけながら、音を重ねる。ドンドン、ドドンと足踏みが加わり、様々な響きが複雑な共鳴を生む。
久留米で四年前に「ボディパーカッション・クラブ」を作った。小学校一年から中学一年までの男女四十人が練習している。久留米から県内外へとその輸は確実に広がってきた。
十年前、佐賀市で開かれた国立音大打楽器アンサンブルの演奏会にでかけた。アンコールの後、七、八人が舞台に立ち、自分の体を打楽器のように便う"演奏"が披露された。一種の余興ではあったが、当時小学校の音楽の時間に手拍子や足踏みでリズム遊ぴをしていた私に、くっきりとした印象を残した。

父母から大きな反響

何となくやってきた教室でのリズム遊びを、もう少し系統立てたものにできないだろうか。そう考えて作ったのが、音楽の授業の自主教材「山ちゃんの楽しいリズムスクール」だ。
私自身、小学校の鼓笛隊で小太鼓をやり、学生時代はドラムを叩いていた。その経験から、子どもたちをいくつかのパートに分け体だけを使った合奏を楽しんだ。そのうち自然に二分ほどの曲が出来上がり、「手拍子の花束」と名付けた。
授業参観の時、父母の前で披露したところ、珍しさもあったのだろうが、思わぬ反響がかえってきた。「面白い」「子供たちが生き生きしている」「大人もやってみたくなる」と。
評判は広がって、小学校全体の音楽会に、市内で開かれる一般のコンサートのアトラクションにと、声がかかるようになった。
その間に、「ヤー」とか「オー」とかいった声を入れるものや楽器と共演するものを含め、十数曲の作品が出来上がり、レパートリーも増えていった。
「コンサートをやったら」という周囲の励ましを受けて五年前の十一月、久留米で初のコンサートを開いた。子供たちは、足を痛めないように底がやわらかい靴をはいて足を鳴らし、笑顔で手やおなかを叩いて立派にステージを務めた。観客席を埋めた父母たちもまた、満面の笑顔だった。
それが元になって、週一回の割で練習するボディパーカッション・クラブが誕生し、昨年末の東京公演につながっていった。
コンサートや講習会に参加できない人のために教則ビデオを作り、英語版も用意した。インターネットにホームページも開いている。これまで、ドイツのゴスラー音楽学校の生徒たち、サラエボの歌手、ヤドランカさん、南アの太鼓グループなどと共演した。音楽は言葉ではないことを改めて実感する体験だっだ。

感動が音楽の原点

私は今、養護学校の教諭をしている(1998年当時)。もちろん、教え子たちにもボディパーカッションを楽しんでもらっている。素直に体を動かし、うれしさを全身で表現する子供たちの姿は、音楽の原点そのものだ。
聾(ろう)学校でも"出張授業"をしているが、耳が不自由でもボディパーカッションは自分の体を叩くのだから、強弱もリスムも簡単にわかる。まわりの人の動きも見えるので、合奏に問題はない。
普及のために地元の小学校、幼稚園、保育園の先生たちを対象にワークショップをこつこつと開いでいると、やはり口コミの力だろうか、思わぬところから間い合わせをいただくことも多い。例えば、だれでも楽しくやれて健康にいいのではと老人施設や養護学校福祉施設から見学に見えるし、「リハビリに」と病院関係者からの質問もある。
音楽は感動だ。その感動を呼ぶのに楽器が必要だとは限らない。
「体がすべて楽器です」と叫ぴながら、いつの日にカーネギーホールで演奏ができればと夢見ている。

-日本経済新聞 1998年(平成10年)2月3日 文化 より引用-

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